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ロシアのウクライナ侵攻に対する対応(2):岐路に立つ科学技術外交

レポート(1)の続きです)

前回は、ロシアのウクライナ侵攻に対する世界の高等教育・学術機関の初動対応についてレポートしました。今回は、科学技術面の国際共同プロジェクトにおける対応について、レポートしたいと思います。

ビッグサイエンスを含め、近年は世界で多くの国際共同プロジェクトが推進されており、ウクライナ人やロシア人研究者もこれに参加しています。学術の世界における国際共同プロジェクトは、国際協調の象徴として存在し、第二次世界大戦の直後に、分断された国々を融和させるために開始されたものもあります。それらの多くは、冷戦期においても東西の研究者を交えて進められてきました。

今回の、ロシアのウクライナ侵攻に対してはどのような判断がなされているのでしょう。

■ 反プーチンとウクライナ支持を要請するウクライナ

ロシアのウクライナ侵攻が始まった2月24日、ウクライナの国立高等教育質保証庁の長官、かつKyiv-Mohyla Academy国立大学の学長であるSerhiy Kvit氏はTimes Higher Education紙の取材に応えて、ウクライナ支持を世界の高等教育・学術機関に対して呼びかけました。各機関に、ウクライナ支持を世界に向けて発信して欲しいそうです。

また、ウクライナのルハンシクにあるTaras Shevchenko国立大学のVitaliy Kurylo学長は同取材において、「事態はコントロール下にある」としています。ルハンシクは、ロシアが2月21日に一方的に独立を承認したルハンシク人民共和国にありますが、この地は2014年に既にロシアからの侵攻を受けており、大学はその時点で一度、メインキャンパスから避難しています。その経験から、今回は戦争開始が予想された数日前に、大学のコンピューターや重要書類、公式の印鑑などをキャンパスから退避させたそうです。

また、同大学は2014年の経験以来、デジタル教育を展開しています。このため、ロシアが今回、ルハンシクに侵攻した時も、学生は自宅で講義等に参加しており、無事でした。同大学は、デジタル教育を今後も継続予定です。なお、同大学は学生約3万人規模の大規模大学です。

ドネツク国立大学のRoman Grynyuk学長も同様の経験を語っています。同大学も、ロシアがドネツクを占領した2014年、ロシア軍にキャンパスを占領され、ウクライナの国旗がロシアの三色国旗にすげ替えられました。そのような過去の経験から、大学は現在、市当局の公式発表を迅速に展開するなどして、今回の情報戦に対抗しています。学内に向けては、「敵は我々を怖気づかせ、パニックに陥れいれようとしています。我々が第一に考えるべきは、この敵の術中にはまらないようにすることです。知力が要です(the power of knowledge is crucial)」と呼びかけています。

ウクライナの大学は不屈の精神をもって、戦時下においても大学の教育研究活動を継続しようとしていますが、戦争が彼らの新たな現実になったことは否めません。学生の多く、そして教員の一部はウクライナ軍の兵士、あるいは予備兵なのです。

[Times Higher Education](2022.2.25)
'We are ready': Ukraine's universities calm in the face of war-Academics call on overseas colleagues to 'stand with us' as Putin's army attacks

ウクライナ国立科学アカデミーの会長Anatoly Zagorodny氏は3月8日、ネイチャー誌において、「ウクライナにおける悲劇の証人となってほしい」と世界の研究者に呼びかけました。

同氏によると、ウクライナの科学と産業は重要な研究ポテンシャルを有しています。核エネルギーや機械工学、航空宇宙産業が中核に位置します。ウクライナ国立科学アカデミーは150の研究機関からなり、これらは物理学、材料科学、コンピューティングなどに強いです。しかし、多くの研究機関は現在、ロシアの軍事攻撃にさらされています。ウクライナの主要な核施設であるハリコフ物理技術研究所が特に危険にさらされています。この核施設は、核物理及び材料科学研究、そして医療用アイソトープを生成するのに使われています。
(注:ハリコフ物理技術研究所は3月6日、ロシアの攻撃を受けたと報じられています)

アカデミー配下の研究所はまだどうにか研究活動をオンラインで継続しています。しかし、継続的な爆撃音や警報音の下、研究の継続は日に日に難しくなっています。

この流血惨事を速やかに終わらせ、市民に安全を提供し、国を再建するために、ウクライナは幅広い支援と、大規模で現実的(practical)な支援を必要としています。

[Nature](2022.3.8)
President of National Academy of Sciences of Ukraine calls for solidarity

■ ウクライナ研究コミュニティによる署名運動

一方、ロシアの非人道的な攻撃を封じるために、ウクライナの研究コミュニティは世界の研究コミュニティに対して署名を求めています。署名文には、「21世紀、そして2022年において、戦車やロケット発射装置、ロケットに対抗するには、〔ロシアに対する〕ハイテクノロジーやイノベーション、科学研究、情報サポートへのアクセスを遮断することが有効と考えられる」とあり、以下のような措置を通じてウクライナおよびヨーロッパ、そして、世界の民主主義国を独裁的な武力侵略から守ることが要請されています。

  • - 学術出版社の提供する書誌データベースや学術情報について、ロシア及びベラルーシの研究者と機関からのアクセスを遮断すること。
  • - EUおよび、その他の研究助成機関が提供する国際研究助成プログラムに、ロシア及びベラルーシの機関に所属する研究者が参加できないようにすること。
  • - 国際的な学術交流プログラムについて、ロシア及びベラルーシの研究者や学生、機関の参加を取りやめること。
  • - ロシア及びベラルーシの領土内で開催される学術イベントへの参加をボイコットすること。(特に、学術面の国際会議やシンポジウムなど)
  • - ロシア及びベラルーシの論文を学術データベースに取り込むことを取りやめること。
  • - 国際学術誌のエディター/共同エディター/査読者に、ロシア及びベラルーシの研究者を登用しないこと。

なお、これらの提案が、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に公的に反対する研究者や機関には適用されないことが言い添えられています。

2022年3月13日現在、この署名文には7000名以上が署名しています。見たところ、ウクライナを中心とした東欧系の人名が多いようです。ただし、次に紹介するように、この署名文への署名は少ないものの、西欧諸国学術界によるロシアとの協力関係打ち切りは進みつつある模様です。

ちなみに、ウクライナによるこうした署名運動は複数ある模様です。Academy of Sciences of the Higher School of Ukraineや、Ukraine's Council of Young Scientistsなどもこのような動きをしています。

[Nature](2022.3.8)
Ukraine: thousands sign plea for scientific sanctions against Russia

Dmytro Chumachenko, "Open Letter from Scientists of Ukraine regarding Russian military intervention"(2022.3)

■ ロシアとの学術面の協力を公式に打ち切る国々

ウクライナからの、ロシアとの協力関係の打ち切り要請にいち早く反応したのがドイツです。ドイツ連邦教育研究省(BMBF)は2月25日時点でいち早く、ロシアとの協力関係打ち切りの発表をしました。ドイツ学長会議(HRK)が強く働きかけたのが契機だそうです。

発表には、「ロシアと現在、長期に行われている科学技術協力や職業教育、その他の研修は本来、双方の関心に基づくものですが、即座に打ち切ります」とあります。
「ロシアとの現在進行中、もしくは計画中の活動は全て凍結され、再検討されます。別途通知がない限り、新たな活動はありません」。

ドイツ学術機関アライアンスも同日、ドイツ連邦教育研究省の決定を支持する声明を発表しました。同アライアンスは、ドイツの主要な学術機関を内包します。ドイツ研究振興協会(DFG)、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団、ドイツ学術交流会(DAAD)、フラウンホーファー研究機構、マックス・プランク研究機構、国立科学アカデミー・レオポルディーナ、ドイツ学術会議が含まれます。ドイツのこの決断に伴い、例えばDAADやDFGが助成する全ての学術交流や国際学術プロジェクトは凍結されました。

ドイツの強硬な姿勢に対しては、批判的な意見も聞かれます。2月26日付のUniversity World News紙において、欧州研究型大学連合(LERU)のKurt Deketelaere事務局長は、「ロシア政府や大統領の狂った行動に対して、罪のないロシアの研究者や大学を懲らしめるべきなのでしょうか? 中国が香港や台湾に対してとった行動に対して、我々は中国の研究者や大学との協力を止めていません」と語っています。

欧州研究中心大学ギルドのJan Palmowski事務局長は、「ロシアの大学や学術機関との関係のあり方については、より議論が必要です。戦争に反対し、我々と価値を共有するロシアの大学コミュニティについては、サポートをしたいからです」と語ります。

ドイツ学術機関アライアンスは、このような決断が学術の未来に及ぼす影響を認識しており、このような決断をしなくてはいけなかったことを残念に思っていると声明において述べています。「我々は多次元の世界に生きており、国際的な学術協力なくして、気候変動や生物多様性、感染症などの危機に立ち向かえません。このため、〔我々は本来〕、ロシアのウクライナ侵攻に影響を受けた、我々のロシアの長期協力パートナーとは結束があります(apply our solidarity)」と述べています。

私の個人的な見解ですが、ドイツは欧州の大国、英仏独のうち、ロシアに地理的に最も近く、自身の東西分断の歴史もあって、ロシアの脅威に対して敏感です。このため、いくばくか強硬に見えますが、他国に先んじてこのような決断を下したのだと思います。

[Times Higher Education](2022.2.25)
Germany halts academic collaboration with Russia over Ukraine war

[University World News](2022.2.24)
Ukraine's academics appeal for international support

[University World News](2022.2.26)
EU under pressure to halt science cooperation with Russia

一方、ドイツに続いて他国も徐々に、ロシアとの協力関係を打ち切っています。3月5日付のUniversity World News紙記事によると、デンマークは3月2日、オランダは3月4日、ロシアとの協力関係の打ち切りを発表しています。デンマークは高等教育・科学省、オランダは、オランダ大学協会(VSNU)、応用科学大学協会、オランダ国立芸術科学アカデミー(KNAW)、オランダ研究機構(NWO)、オランダ大学病院連合(NFU)、ヤングアカデミーの連名です。

オランダからの発表には、この措置による学生や教職員、大学への影響が具体的に記述されています。

  • - オランダ国内の大学にいるロシアやベラルーシの学生及び教員、研究者は、オランダ国内に留まり、学業や教育研究活動を継続できる。その所属大学は、可能な限りの支援を行う。NWOは、ウクライナ危機の被害者に緊急支援基金100万ユーロを用意する。
  • - ロシアあるいはベラルーシの大学等にいるオランダの学生、教員、研究者には、安全に帰国できる場合、可及的速やかに帰国するよう勧告する。
  • - ロシアとベラルーシとのあらゆる教育研究パートナーシップは即座に打ち切られる。つまり、これらのパートナーシップに伴うあらゆる活動は、次に通知があるまで取りやめられる。以降、いかなる経費執行や、データや知識の共有・交換も許されない。
  • - 共同開催のイベントも以降、許されない。ロシアとベラルーシの機関からの参加者も認められない。
  • - 以降、いかなる新規共同プロジェクトも開始されない。既存の共同プロジェクトにおける新規イニシアティブも許されない。
  • - ロシアやベラルーシの機関に所属する研究者は、試験監督や研究提案の審査メンバーとして呼ばれない。
  • - 多国籍パートナーシップにおいて、ロシアやベラルーシとの関係が問題となる場合に統一的な対応ができるよう、オランダの研究コミュニティは体制を整える。

[デンマーク高等教育・科学省](2022.3.2)
Call to suspend cooperation with Russia and Belarus

[NWO](2022.3.4)
Dutch knowledge institutions suspend partnerships with Russia and Belarus

なお、英国ではGeorge Freeman科学大臣が2月27日、英国ビジネス・エネルギー・産業戦略省(BEIS)を通じたロシアの被助成状況を迅速に検討するように指示しましたが、3月20日現在、具体的な措置は発表されていません。英国大学協会(UUK)も3月8日に、BEISからの指示を待っているとアナウンスしたのみです。

[Research Professional News](2022.2.28)
Beis to review all Russian R&D funding links amid war on Ukraine

[Universities UK](2022.3.8)
Our latest statement on Ukraine

■ EU、ロシアをHorizon Europeから排除

ドイツからの強い要請に押される格好で、EUも3月4日、ロシアとの協力関係を打ち切ると発表しました。ドイツからの欧州議会議員Christian Ehler氏は欧州議会においてHorizon Europeを報告する担当で、EUもドイツと同様の決断をするよう、働きかけました。

955億ユーロ規模の、EUの研究とイノベーションのための主要プログラムHorizon Europeは以降、ロシアの機関と新しい契約や新しい合意を締結しません。これに加え、既存の契約について、EUはロシアへの経費精算を行いません。
一方、ウクライナに対してEUは、Horizon Europeおよび欧州原子力共同体(Euratom)の研究・研修プログラムへの参加を強く支援するとしました。

EUのこうした決断に反対の声もあります。ルーベン・カトリック大学のKurt Deketelaere教授(法学)は、「ロシアとEU間の学術協力が両者の関係改善の最後の砦であるというのに、EUのこのような決断は残念である」としています。「EUは、科学技術外交のチャンピオン気取りであるが、結局のところ、学術協力より政治的関心の方が強い」と批判しています。「そもそも、ロシアをEUのプロジェクトから追い出す法的根拠は何なのか? このような措置によって、我々と価値を共有するロシア人研究者を失望させ、中国に向かわせたら元も子もない」と指摘します。
(注:Kurt Deketelaere氏は、欧州研究型大学連合(LERU)の事務局長ですが、個人の見解として発言しています)

欧州研究中心大学ギルドのJan Palmowski事務局長は、EUの決断に理解を示しつつも、「ロシアの軍事侵攻に対して反対の立場をとり、自らの命を危険にさらしているロシア人研究者たちをどのように支援できるかも検討すべき」としています。

[University World News](2022.3.5)
European Union halts scientific cooperation with Russia

なお、欧州大学協会(EUA)は、より繊細(nuanced)なアプローチをとっています。ロシアのウクライナ侵攻に対しては強い遺憾の意を示しつつも、ロシアの軍事侵攻に対して反対の立場を取ったロシア人研究者が多くいることを指摘し、既存の大学間の協力についてはケースバイケースでその継続を判断するよう、各国の会員大学協会等に助言しています。これに対して、新しい協力プロジェクトの開始については、欧州の価値が共有されていることが明確な場合にのみ、開始すべきとしています。他方、EUA自体は、ロシアや、ロシアの軍事侵攻を支持するいかなる国の政府機関との連絡や協力を打ち切るとしています。

EUAは、ロシアの機関を含む、欧州48カ国850大学を代表する協会で、単一のアプローチが難しかったものと思われます。
(注:EUAは、ロシア学長協会が3月7日、ロシアの軍事侵攻を支持する声明を行った後、態度を硬化させ、ロシアの12の高等教育機関を除名しています)

[EUA](2022.3.2)
European University Association Statement on Ukraine

■ 難しい判断を迫られる大型国際プロジェクト等

― 微妙なさじ加減をはかるCERN

欧州原子核研究機構(CERN)は1954年、戦後の平和の再構築のために、スイスとフランスの国境にまたがったジュネーブ郊外に設立されました。23の運営国と8オブザーバ国の協力により運営され、さらに多くの国々の研究者が常時12000人います。ウクライナ人研究者は約40名おり、ロシア人研究者は約1000名で全体の8%を占めています。

CERNのモットーの1つは「平和のための科学(science for peace)」で、冷戦時代も東西の研究者の交流の場でした。ソ連が1968年にチェコスロバキア、1979年にアフガニスタンに侵攻したときも、CERNはソ連の研究者を追い出しませんでした。1989年の天安門事件により多くの中国人研究者が国外逃亡した際は、これら研究者をかくまいました。ベッドが足りず、1つのベッドに複数名がシフト制で仮眠を取るような状況でした。

[Science](2022.3.4)
Ukrainian physicists call for Russia's ouster from CERN

このように、平和の架け橋として運営されてきたCERNですが、3月8日、23の運営メンバー国による特別委員会を開催し、以下の決定をしました。ウクライナからの強い申し入れに応えた形です。ただし、現在、CERNにいる1000名余りのロシア人研究者については追放せず、引き続きいられるように取り計らいました。

  • - 高エネルギー物理学分野におけるウクライナ人研究者とウクライナとの共同研究を支援する。
  • - ロシアのオブザーバー国としてのステータスを剥奪する。
  • - ロシアとの新たな共同研究は行わない。

CERNのような、多数の国の協力により運営される大型国際プロジェクトは、運営国や協力者たちの多様な要求をバランスする必要があります。また、今回のケースにおいては、全体の8%を占めるロシア人研究者を追放することが非現実的ということもあり、今回のような判断となりました。

[CERN](2022.3.8)
CERN Council responds to Russian invasion of Ukraine

[SPACE](2022.3.8)
CERN pauses future research collaboration with Russia at Ukrainian scientists' request

― その他の大規模国際共同プロジェクトの判断

EUのもう1つのメガサイエンスプロジェクトであるE-XFEL(欧州X線自由電子レーザー)は、ロシアとの新規の共同プロジェクトは今後行わないとするだけでなく、現在行われている協力についても打ち切りを決定しました。なお、E-XFELでは、ロシアの原子力研究の中心であるクルチャトフ研究所がメンバーの1つでした。

一方、CERN同様、分子生物学分野において各国から1800名の研究者の協力により運営される欧州分子生物学機構(EMBO)は、ロシアのウクライナ侵攻が、学問の自由と研究交流・協力の基盤となる自由や民主主義を脅かすものとして、批判の声明は発表しましたが、ロシアとの協力関係は打ち切っていません。

[Science Business](2022.3.8)
CERN physics lab suspends ties with Russia

― ロシアの関わるイニシアティヴからの離脱

これらに対して、本年7月にロシアのサンクトペテルスブルグで開催予定であった国際数学者会議(ICM)2022は、オンライン開催へと移行しました。また、同会議の主催である国際数学連合(IMU)の総会は、ロシア国外で開催されることになりました。ちなみに、ICMは第1回会議を1897年に開催した歴史ある会議です。現在、4年に1度開催されており、開会式ではフィールズ賞などが授与されます。

[Nature](2022.3.1)
Global research community condemns Russian invasion of Ukraine

一方、北太平洋においてサーモンの生態を調査する米加露の国際共同プロジェクトについては、アメリカ海洋大気庁(NOAA)がロシアの調査船Tinroへの米国の研究者の乗船を禁止しました。また、北極グマのアラスカからシベリアへの移動を調査するプロジェクトにおいては、米国の研究者がロシア領にあるウランゲリ島における調査に参加することを、アメリカ魚類野生生物局(U.S. Fish and Wildlife Service)が禁止しました。

[Science](2022.3.8)
Western nations cut ties with Russian science, even as some projects try to remain neutral

― 宇宙探査ミッション中断の動き

宇宙探査も多くの国々の協力に基づいて成り立っています。また、欧州中心のミッションについては、ロシアの宇宙開発全般を担う国営企業ロスコスモスが大きな役割を果たしています。

欧州宇宙機関(ESA)は2月28日、本年9月に予定されていた火星探査ミッション実現の見込みが極めて低いことを発表しました。このミッションは、ESAとロスコスモスの共同ミッションExoMarsの一部で、ロシアと欧州初の火星探査車「ロザリンド・フランクリン」を火星に送り込む予定でした。この火星探査車は、ドリルを搭載し、地中内の生命体を発見できる機能を搭載していました。一方、カザフスタンにあるロシアのロケット発射場「バイコヌール宇宙基地」から打ち上げ予定であったこともあり、打ち上げの見込みが立たなくなりました。

このミッションは当初、2018年に打ち上げ予定でしたが、パラシュートやエレクトロニクスの課題、新型コロナウイルス感染症拡大などにより、打ち上げが既に2回、延期されています。宇宙軌道等の関係により、このミッションは2年に1度しか打上げの機会がないため、今年の打ち上げ機会を逃すと、次の機会は2024年11月となります。また、その時点で打ち上げに成功しても、火星探査車が火星に届くまで約1年半かかります。

バイコヌール宇宙基地以外の宇宙基地からの打ち上げも検討されていますが、本年9月までに代替地を確保し、各種の機材を新たな宇宙基地に合わせて調整し直すのは、時間的に極めてタイトです。また、ここで失敗すると、このミッション自体が永久に打ち切られる可能性もあります。

国籍を問わず、このミッションに向けて心血を注いできた多くの科学者や技術者の夢が、ロシアのウクライナ侵攻により危機に瀕しています。

一方、すでに影響を受けている宇宙探査協力もあります。ロスコスモスは2月26日、フランス領ギアナのクールーにあるESAの宇宙船基地からスタッフを引き上げると発表しました。これにより、ロシアのソユーズロケットが事実上、打ち上げられなくなりました。ESAはソユーズロケットを、ガリレオ測位システムへの衛星を含む、中小規模の打ち上げに用いていました。2023年に打ち上げ予定であったユークリッドミッションも影響を受けています。このミッションは、直径1.2mの望遠鏡等を搭載し、百億光年の及ぶ20億以上の銀河を三次元に描き出して、ダークエネルギーや暗黒物質を解明する予定でした。

マックスプランク地球外物理学研究所(MPE)は、2月27日、MPEが開発したX線宇宙望遠鏡「eROSITA」をセーフモードに移行したと発表しました。eROSITAは、2019年にバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたロシアとドイツのX線宇宙望遠鏡「Spektr-RG」に搭載されており、100万以上の天体を検出して、ダークエネルギーや暗黒物質の特性を把握予定でした。

ロシアの月探査ミッション「Luna」への影響も出る可能性が出てきています。ESAは、7月に打ち上げ予定の「Luna-25」には着陸カメラ、「Luna-27」には測位装置とドリル、ミニラボで貢献する予定でした。ESAは、3月1日時点で対応を検討中としています。

― ロシアと中国の協力可能性

世界各国とロシアの間に亀裂が走る中、ロシアの宇宙探査は中国との協力に向かっています。

ロスコスモス総裁のドミトリー・ロゴジン氏は、2月26日、ロシアが宇宙探査に必要とするマイクロエレクトロニクスを中国から購入するとYouTube上で発表しました。また、中国の5カ年宇宙計画によると、両国は有人月面基地を含む一連のプロジェクトで協力予定です。

「両国の協力はすでに開始しているが、宇宙探査の共同プロジェクトが軌道に乗るまでには、数十年に及ぶ歳月が必要である」とExoMarsのメンバーであるOleg Korablev氏は述べています。また、ロシアのウクライナ侵攻が、このような歳月をかけて構築してきた国際的な宇宙探査と宇宙科学の発展に与える影響は甚大であるとも指摘しています。

[Nature](2022.3.1)
Ukraine conflict jeopardizes launch of Europe's first Mars rover

[Physics World](2022.2.25)
Russian scientists condemn Ukraine invasion as international projects and meetings thrown into doubt

(所感)

各国や各国際共同プロジェクトとも、学術交流や共同研究の継続に関して、難しい判断を突きつけられてるように思います。

連日、ロシアのウクライナの地における爆撃や、1000万人超に及ぶウクライナ人の国外への避難が報じられ、ウクライナの学術コミュニティからは、この事態をどうにかするためにロシアとの協力を断ち切って欲しいという悲痛な悲鳴が寄せられる中、このような事態を看過できないという思いは誰にもあります。

ロシアとの断交は、そのための一つの手段ですが、一方で、学術や科学技術は「平和の架け橋」として機能すべきで、このような時にこそ、ロシアを締め出すべきではないという考え方もあります。特に、身の危険を冒してでもプーチン政権に反対するロシア人研究者については、支援の手をさしのべたいものです。また、ロシアとの国際共同プロジェクトや学術交流を打ち切っても、ロシア人研究者に影響はあっても、プーチン政権は物ともしない可能性が大です。

さらに、大型の国際共同プロジェクトになればなるほど、ロシアからの人的・財政的・インフラ的な側面からの寄与が大きく、これを簡単に排除できないという事情もあります。また、こうした大型の国際共同プロジェクトは、数多くの研究者や技術者が長年の歳月をかけて、人類の夢の実現に向けて心血を注いできており、プロジェクトの打ち切りはロシアだけなく、このプロジェクトに関わってきたあらゆる者と国々に打撃を与えます。

このため、各国とも、国際共同プロジェクト等の打ち切りには、慎重な判断をしているようです。3月5日付の記事では、ドイツ、デンマーク、オランダがロシアとの協力関係打ち切りの判断をしていますが、3月21日現在までに、同様の判断をしたというニュースが立て続けに流れるという事はありませんでした。私の見た範囲では、アイルランドがロシアとの協力打ち切りの判断をした程度です。

また、打ち切りの判断をする場合も、A)継続中のプロジェクトについては引き続き継続し、新規に実施されるプロジェクトについてのみ、ロシアをパートナの対象から外すとしたり、B)ロシアの学術機関との連携は打ち切るが、ロシア以外の学術機関に所属するロシア人研究者については擁護する、あるいは、B')ロシアの学術機関に所属するロシア人研究者であっても、プーチン政権に反対する研究者については擁護するなどといった、微妙なさじ加減がなされているようです。

いずれにしても、どのようにして学術や科学技術を「平和の架け橋」として機能させれば良いのかについて、世界は効果的な方法が見いだせていないようです。戦局は膠着状態、というか、プーチン政権も、振り上げてしまった腕をおろすタイミングが見つからなくなってしまったようですし、世界はこのままどのようになってしまうのでしょうか? また、高等教育や学術はどのようになってしまうのでしょう?

次回は、ロシアの高等教育と学術界の反応を中心にレポートします。

レポート(3)へ続く)

船守美穂