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豪・研究助成機関、研究助成申請におけるプレプリント引用禁止令を撤回

豪州の中心的な研究助成機関、豪州研究会議(Australian Research Council, ARC)は研究者からの反発を受け、研究助成申請書においてプレプリントに言及してはいけないというルールを撤回しました。このルールは2020年9月に導入されましたが、研究者たちからは「驚愕」「時代遅れ」と非難を浴びていました。
研究者たちは今回の方針転換を歓迎していますが、このルールを撤回するだけでなく、このルールによって却下された助成申請を再審査すべきであったと主張しています。

ARCによるこの方針転換は、Twitter上で「若手研究者の研究助成枠組みにおいて、プレプリントを引用した研究助成申請書が数十件却下された」と呟かれてから4週間近くたってなされました。Twitterのアカウントは匿名の研究者による "ARC Tracker" というものでした。総計2200万豪ドル相当の研究助成申請書が30件以上を却下された模様です。

いくつかの研究助成枠組みは申請回数の上限を設けてるため、一部の研究者はこの却下の判断により研究者キャリアを閉ざされました。

研究助成が再審査されない無念

2021年9月14日の撤回発表においてARCは、「ARCの今回の方針変更は、複数の研究分野において近年、研究を機動的かつオープンに推進するためにプレプリントが利用されるようになったという最近のトレンドと重要性を反映した」としています。

同発表によると、以後、研究助成申請書の研究計画や業績リストにプレプリントを引用・掲載しても却下されることはないそうです。しかし、すでに却下されてしまった研究助成申請にこの方針転換は適用されません。

一部の研究者は、ARCが世界の他の研究助成機関に近づくとこの方針転換を歓迎しています。しかし一部の研究者はこれでは不十分と考えています。

シドニー大学の言語人類学者Nick Enfield氏はこの方針転換を称賛していますが、「研究助成の採否を変えられないのは残念だ」としてます。メルボルン大学の理論物理学者Nicole Bell氏は「このルールが十分な検討を経ずに決まり、申請者にも十分な説明がないまま〔却下者が生まれ〕、さらに、今回このルールが撤回されたことを考えると、却下された申請書を再審査する余地は十分にある」と語っています。

不服申し立てへの迅速な対応

却下された申請書の再審査可能性についてARCは、「審査のルールは、審査終了後あるいは審査中であっても変えることができない」とNature誌の取材に対して答えています。

しかしARCのウェブサイトでは、却下された申請者が不服申し立てはできるとしています。また、その申し立てへの対応は「ARCとは独立した、アカデミアにおいて信頼と経験のある研究者のグループにより監督される」とあります。
Nature誌調査によると、7名の研究者が不服申し立てをすでに検討しています。

しかし、西オーストラリア大学の考古学者Martin Porr氏は、このような不服申し立て手続きが研究者に更なるプレッシャーになると指摘します。豪州では新型コロナウイルス感染症拡大に鑑み、3.5万名分の職が高等教育セクターにおいて失われました。

[Nature](2021.9.20)
Australian funder backflips on controversial preprint ban

(所感)

プレプリントが研究成果発表の一級市民になる過程を見ているようですね。

査読前の研究成果のラフ原稿をインターネット上で速報的に共有するというプレプリントは、約30年前、高エネ物理学分野において始まりました。この慣習は長いこと同分野に限定的でしたが、次第に他の分野にも広がり、プレプリントサーバーを容易に立ち上げることができるサービスが2016年、Center for Open Science(COS)から提供されるようになると、さらに多くの分野に拡大しました。このようなプレプリント隆盛に伴い、学術出版社大手4社はプレプリントが学術論文に取って代わることへの危機感から、査読中の論文をプレプリントとして公開するサービスを近年、提供開始しだしました。

[mihoチャネル](2020.9.5)
変わりゆくプレプリントの機能

研究助成機関においては、米・ゲイツ財団や英・ウェルカム財団などの民間巨大財団が早い段階から研究成果の迅速な公開を目的として、オープン出版と出版後査読の形式を取るF1000という出版プラットフォームを採用しています。しかし、他の公的研究助成機関はなかなかその一歩を踏み出しませんでした。

2020年、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染症拡大に伴い研究成果を迅速に共有する需要が急速に高まると、医学の分野を中心にプレプリントの利用が急速に拡大しました。COVID-19関連論文は2020年だけで10〜20万点出版され、そのうち3万点以上、17〜30%はプレプリントだったと推計されています。別の見方をすると、2020年に出版された全プレプリントの10%、世界の論文の4%がCOVID-19関連だそうです。ちなみに、2020年は医学以外の分野においても大幅な論文出版の拡大を見た年でもあり、2020年2〜5月のエルゼビア社への論文投稿は27万点に上り、前年比の58%増でした。医学分野では前年比92%増でした。

[Nature](2020.12.16)
How a torrent of COVID science changed research publishing - in seven charts

このような研究成果の迅速な共有需要を受けて、米NIHは、NIHが研究助成をした論文をオープンアクセスで公開するリポジトリPubMed Centralを通じて、プレプリントを公開するパイロットを行うと、2020年6月に発表しました。出版後即オープンアクセスを求める「プランS」も、プレプリントによる早期からの研究成果の公開を強く推奨しています。EUは、Horizon2020の助成による研究成果のオープン出版プラットフォームとして、F1000を利用したOpen Research Europeを2021年3月に提供開始しました。

[info docket](2021.3.24)
European Commission Announces Official Launch of Open Research Europe, New Platform Powered by F1000 Research

プレプリントを出版するプラットフォームまで提供するかはさておき、研究助成機関がプレプリントを研究助成申請書に引用することを許容するか、また、プレプリントを通した研究成果の迅速な共有を推奨するかについては、ASAPbioがライフサイエンス分野における世界の研究助成機関のポリシーを以下のサイトに取りまとめています。ASAPbio(Accelerating Science and Publication in biology)は、ライフサイエンス分野におけるオープンで革新的な学術情報コミュニケーションを推進する研究者中心のNPOです。このリストによると、2016年あたりから民間財団を中心にプレプリントの引用許容や投稿推奨が始まり、その後、その動きが英米仏の公的研究資金にも拡大しています。

英国医学研究会議(MRC)は2017年からプレプリントの引用を許容しており、ライフサイエンス分野の公的研究助成機関の中では最も早い段階に対応をとっています。そのウェブサイトを見ると、プレプリントの効用として、研究成果の先取権を確立できること、研究成果を迅速に共有できること、(細切れな研究成果の発表を防ぎつつ)自身の研究生産性のエビデンスを早い段階で形成できることなどを挙げています。

ASAPbio, "Funder policies" (last accessed 2021.9.26)

MRC, "Preprints" (last accessed 2021.9.26)

今回紹介した豪ARCは、2020年以前、プレプリントを「研究業績リスト」に掲載することを許容していませんでした。そして2020年9月、研究業績リストだけでなく「研究申請書のいかなる部分」においてもプレプリントを掲載あるいは引用してはいけないとルール変更しました。これにより最低23名の研究者が、2つの若手研究者の採択枠組みにおいて不採択になったことが2021年8月に発覚し、豪州のアカデミアにおいて大きな反発を呼びました。1)若手研究者の申請枠組み2つが影響を受け、研究助成の不採択がアカデミックキャリアの終焉に繋がる研究者が多かったこと、2)研究の進展のスピードが速いこの時代において、申請書に正規の論文以外の引用・掲載を認めないということは、革新的・萌芽的研究の道を閉ざすことなどが主な論点でした。

ARCの今回の方針転換は、2021年8月の研究者からの猛反発を背景としており、2021年9月末現在、ASAPbioのリストにはARCの方針転換が最新の事項として掲載されています。
なお、ASAPbioが提供するのは、ライフサイエンス分野に限定した、プレプリントを許容する研究助成機関のリストですが、ARCに対する反発を報じたNature誌の8月の記事によると、プレプリントの引用はカナダ、ドイツ、デンマーク、スペインなどの研究助成機関や欧州研究会議(ERC)においても許容されているそうです。

[Nature](2021.8.25)
Preprint ban in grant applications deemed 'plain ludicrous'

プレプリントは、査読前の原稿ということで、これまで多様な場面において忌避されていました。しかし、考えてみれば、学会の予稿集や国際会議のproceedingsなども、分野によっては査読もないまま、研究情報の有用な共有手段として機能しているわけです。プレプリントだって、査読がないことだけしっかりと認識していれば、研究成果の迅速な共有手段として活用していいのではないでしょうか。
また、研究成果として共有したからには、これを引用できる必要もあるため、どのプレプリントサーバーに何月何日付けで掲載されたかなどの書誌情報とともにプレプリントを引用することが慣行となれば良いのではないでしょうか。

印刷体時代の固定観念から逃れ、インターネット時代の迅速でオープンな情報交換を前提とした学術情報流通の制度変革が望まれています。

船守美穂