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インド政府、若手研究者の論文投稿に報奨金提供を提案

「いくつかの厳選された学術雑誌に論文を出版する博士課程の学生に対して、報奨金を提供する」というインド政府の提案が、インド研究者の批判を集めています。このような施策は、優れた研究をすることに対してではなく、論文出版をすることへの圧力を高めるため、研究の質を低下させ、かつ、研究不正の拡大につながりかねないと、研究者達は警鐘を鳴らしています。

中央政府の委員会の提案では、"有名"国際雑誌に論文出版する博士課程学生には5万ルピー(約700ドル)、一部の厳選された国内雑誌に論文出版する学生には2万ルピーの報奨金を与えるとしています。この現金で付与されるボーナスは、平均的な学生が月々得る奨学金の額より大きな額です。
同委員会は、この提案が博士課程の学生の研究の価値と質の向上につながるとしています。中国、韓国、南アでは、こうした論文出版に対する報奨金を支払うという枠組みが、既に実施されています。

研究者達は、こうした枠組みは研究の質の向上につながらないというエビデンスがある、と主張しています。また一部の研究者は、こうした論文出版への現金ボーナスを導入する以前の問題として、研究助成額や終身雇用のポストを拡大し、競争的資金配分による不確実性を縮小すべきと主張しています。

研究の質に関わる課題

インドから2014年に出版されたの論文は、中国や米国に比べて引用される率が大幅に低い、ということがエルゼビア社科学技術部の分析により判明しました。インドの研究助成機関は、研究助成や研究者の昇格、奨学金付与を審査する際に、こうした指標を子細に吟味します。
インドの高等教育を所管し助成をする大学助成委員会(University Grants Commission)は、そのような指標を用いて、研究評価をしてきた機関の一つです。研究評価において論文発表数を過度に重視したため、質の低い論文を乱造する流れが形成されてしまった、とチェンナイの数理科学研究所に所属する計算機生物学者のGautam Menon氏は指摘します。
このような指標に過度に依存することにより、一部の研究者は論文出版をゲームとして捉え、論文の質に関係なく頻繁に論文出版するようになった、とベンガルールのインド科学研究所の無機化学者Arunan Elangannan氏は指摘します。論文の取り下げを追跡するサイトRetraction Watchのデータによると、インド研究者からの論文は米国からの論文と比べて2倍の率で取り下げられています。
論文出版に対する報奨金は、この問題をさらに拡大させるとベンガルールの国立生物科学センターの計算機生物学者Mukund Thattai氏は指摘します。論文出版に対するインセンティブを与えるということは、一部の研究者を研究不正や論文ねつ造に駆り立てる可能性がある、とThattai氏は述べます。「このような施策は、学術出版システムにおいてゲームをする、完璧なインセンティブになります」。
しかしニューデリーにある科学技術部のAshutosh Sharma事務局長は、この枠組みが、質の高い研究に対するインセンティブを与えるためのものであると主張しています。論文出版は博士課程学生を評価できる数少ない指標の一つであるとSharma事務局長は主張します。「これは質の高い仕事をすることについて学生を励まし、モチベーションを与えるためのものです」。

国内雑誌より国際誌における論文出版に対する報奨金の方が高いことも、インド研究者の批判を集めています。このような施策は、インド発の雑誌の質が国際誌に比べて低いということを示唆し、そのような〔政府からの〕評価は、これら国内誌に質の低い論文のみが投稿され、雑誌の水準が更に下がるという悪循環を生む、とヴァラナシのバナラスヒンデゥ大学の動物学者Subhash Lakhotia氏は述べます。このような提案は、インドの学術出版全体にダメージを与える可能性がある、と同氏は指摘します。

このような施策は、インドの研究者が国際誌に投稿しづらくさせる可能性もある、とThattai氏は述べます。一部の学術雑誌のエディタは、インドからの論文取り下げや研究不正が多いことに憂慮している、と同氏は指摘します。こうした論文投稿数が拡大するようなインセンティブは、エディタの警戒心を更に高める可能性があります。

同様の現金のインセンティブを提供した中国、韓国、トルコの事例を分析した2011年の論文によると、このような施策の導入とともに科学論文の投稿数は拡大したものの、論文採択率は下がったことが判明しました。
他方、この論文の共著者であるアトランタのジョーリア州立大学の経済学者Paula Stephan氏は、このような論文出版への報奨金制度により、研究者がトップジャーナルに論文出版する研究者との国際共同研究を模索する可能性があると指摘します。このため、このような施策は、論文投稿数だけでなく、これら諸国からのトップジャーナルにおける論文採択率の向上につながった可能性があると、彼女の初期の分析では示されています。

真の問題

Menon氏を含む一部の科学者は、こうした論文出版のインセンティブ枠組みを設けるのではなく、博士課程の研究そのものや、公立大学における研究者の終身雇用のポジションを拡大する方に政府予算を回すべきと感じています。同時に、研究助成の不確定性や学生への奨学金の付与の遅れを縮小してもらいたいと感じています。

インド政府は、報奨金制度の具体的検討をするための第二の委員会を設置しました。委員会の委員たちは、類似の枠組みが他国で実施されていることを認識しており、これら諸国におけるインパクトを考慮に入れた上で提言をまとめる、とSharma事務局長は述べています。
また過去4年間、科学技術部は研究の質を向上を図るための枠組みを複数開始した、とSharma事務局長は指摘しています。たとえば、博士課程修了後の研究を継続できるように、ポスドク向け奨学金制度が設立されました。また奨学金付与までの時間的遅延も解消しました。さらに、学生からの複数ヶ月にわたる抗議を受け、政府は今月から博士課程奨学金の額を上げます。

[Nature] (2019.2.15)
Indian payment-for-papers proposal rattles scientists

論文出版に対して個人に報奨金を出すというのは、日本ではあまり受け入れられない気もしますが、しかし論文賞や学会賞に対して賞金が出されることはありますから、それと同じに考えれば良いのでしょうか?このインドのケースでは、月々の奨学金より大きな額とのことですが、日本の感覚だったらどの程度でしょうねえ?学振のDCが月20万円なので、報奨金がたとえば30万円や50万円だった場合、日本の博士課程学生は優れた論文を作成するインセンティブを得るでしょうか?はたまた報奨金稼ぎで論文を乱造する気になるでしょうか?
お金に対する切実さがインドほどではないので、日本ではあまり効き目がない気がします。終身雇用のポストに確実につながるというのであれば、日本でも頑張るかもしれませんね。

なおインドで個人に報奨金を与えても、論文掲載料(APC)がなかったら、そもそも論文出版がままならないのでは?とも思ったのですが、以下の記事によると、インドもプランSに参加する模様です。プランSでは、プランSに参加する助成機関が、助成した論文出版の即座OAを求めるだけでなく、OA雑誌に論文掲載するのに必要なAPCも負担します。
インドの研究助成機関がそこまでの覚悟があってのことかよく分かりませんが、もし本当にAPCも補助し、個人への報奨金も付与するのであれば、相当潤沢ですね。といっても、研究費がなくては研究もできないのかもしれませんが。

[*Research] (2019.2.12)
India agrees to sign up to Plan S

プランSが当初言い出されたころは、言い出した欧州十数国では世界の論文生産の8%しかカバーしないため、その影響の範囲が限られているという見方もありました。しかしインドの参入により20%ぐらいまで、また中国はプランSそのものに参加するわけではないものの、同じ方向性で施策を展開すると意思表明をしており、中国も含めると、プランS対象国の論文生産は世界シェア30%ぐらいまでいく、とこの記事にはあります。
インドや中国などの論文出版大国にとって、APCは相当な負担となる気もしますが、一方でこれら諸国がOA雑誌に集中的に投稿することにより、従来からの権威ある雑誌以上にOA雑誌の方が、質はともかくとしても量的な面では、主流雑誌となる可能性があります。

さらにこの記事によると、インドとほぼ軌を一にして、ヨルダンとザンビアもプランSへの参加表明をしたようです。
開発途上国にとっては、研究者一人一人が負担する数十万円規模のAPCが負担になるという見方もありますが、開発途上国対象のAPC免除枠が想定されているのと、仮にこれら開発途上国がAPCをフルに負担したとしても、一国でみた場合は、購読料のトータルよりAPCのトータルの方が安上がりになる可能性が高いので、プランSは実は開発途上国にとっては、メリットが高い可能性があります。

それにしても、こうした報奨金やAPCなどの金銭面だけで、科学研究の競争力を考えるのも、残念な話ですね。

船守美穂