English

Russian invasion of Ukraine (3): Reactions of Russian academics

レポート(2)の続きです)

前回は、ロシア以外の世界の高等教育および学術界が、ロシアのウクライナ侵攻への対応について苦慮しているさまをレポートしました。ロシアの行動を許せないものとして、ロシアの学術界と断交することは容易ではあるけれど、ロシアがそれで中国などとの協力に向かってしまったら元も子もない。また、高等教育や学術は本来、このような有事の時にこそ、「平和の架け橋」として機能するべきである。加えて、ロシア国内で反戦運動をしている高等教育や学術関係者を見捨てたくない。このような様々な考え方から、ロシアへの対応についての足並みが揃わないでいます。

これに対して、ロシアの高等教育や学術界はどのような動きをしているのでしょう? 今回は、ロシアの高等教育と学術界の動きをレポートしたいと思います。

■ 反戦の意を表するロシアの高等教育・学術関係者等

ロシアがウクライナ侵攻を開始した2月24日から、ロシアの高等教育・学術関係者は反戦の意を示すための署名運動やデモ活動を展開しています。いち早く署名運動を開始したスコルコボ科学技術大学のMikhail Gelfand氏(バイオインフォマティクス)は2月24日、サイエンス誌の取材に答えて、署名運動で達成したかった目的として、以下の3点を挙げています。なお、この署名運動は2月24日時点で既に370名の署名を得ていますが、現在、サイトにアクセスが出来なくなっています。

<署名運動の目的>

  1. ロシアの科学コミュニティが、ロシア政府とは違うということを示すこと。
  2. 自分たちがロシア政府の行いに反対しており、政府を止めるために、出来る限りの手を尽くしていることを、ウクライナの同僚たちに示すこと。
  3. 国際コミュニティに同じことを示し、ロシアに対して制裁措置を課す際、ロシア政府に反対している人たちにダメージを与えないように配慮してもらえるようにすること。

[Science] (2022.2.24)
'A step to nowhere' : Russian scientist organizes protest of Ukraine war

同じく早い段階から署名運動を開始した、ロシアの科学者とジャーナリストによる署名サイトは3月29日更新段階で8000名以上の署名が集まっています。

この署名には、ロシアのウクライナ侵攻が間違っていること、いかなる正当化もできないこと。ウクライナには親戚や友人、研究者仲間がおり、祖父の時代には共にナチズムに戦った仲間もおり、この度の侵攻は皮肉な裏切りであること。ウクライナを独立国家として認めており、欧州諸国の〔ロシアに対する〕制裁措置を理解できること。

戦争を開始したことでロシアが世界からののけ者(pariah country)になったこと。これにより、世界の研究者の協力により成り立つ科学研究の実施がロシア国内では不可能になったこと、ロシアの世界からの孤立が、ロシアの文化的・技術的水準の低下を意味すること。ウクライナとの戦争が何にも繋がらないこと(War with Ukraine is a step to nowhere.)を指摘しています。

その上で同署名文は、旧ソ連の各共和国と共にナチズムを打ち負かした母国ロシアが、新たな戦争開始の煽動者となったことを苦い思いで認識し、ウクライナへの軍事侵攻を即刻取り止めるよう求めています。ウクライナの主権と領土の保全を尊重することと、両国の平和を求めています。

An open letter from Russian scientists and science journalists against the war with Ukraine

[Physics World](2022.2.25)
Russian scientists condemn Ukraine invasion as international projects and meetings thrown into doubt

なお、ロシアの大学生や大学教員、研究者を中心とする反戦の署名運動は以下のサイトに20近くまとまっています。モスクワ大学やサンクトペテルブルク大学などの大学や研究機関単位、歴史学や経済学、考古学などの学問分野単位、その他、ロシアの女性研究者、ドイツの大学に在籍する大学生と同窓生などによる署名運動があります。ただし、一部のサイトはアクセス不能となっています。

Students, faculty, alumni and scholars launch open letters against war

■ 不穏分子を取り締まるロシア政府

一方、ロシア政府も黙っていません。ロシアのウクライナ侵攻のニュースが知れ渡った直後の反戦デモにおいて、ロシア54都市にて1745名が取り押さえられました。モスクワでは、取り押さえられた者が957名にのぼりました。

高等教育・学術関係者においては、若い大学生らがデモに多く参加し、捕らえられました。以下のAP通信のニュースサイトの写真では、学生おぼしき若者が、4〜5名の警官に取り押さえられています。Guardian紙のビデオレポートには、数多くの市民が「戦争反対!」を唱えながら行進している様子が伺えますが、ビデオ後半では、若者や80歳近いおばあちゃんも警察に捕らえられています。

[AP](2022.2.25)
Hundreds arrested as shocked Russians protest Ukraine attack

[Guardian](2022.3.3)
'No to war!': Russian protesters defy Putin - video report

ロシア科学アカデミー応用物理学研究所のEfim Khazanov所長代理はTimes Higher Education紙の取材に答え、自らもデモに参加し、同僚複数名が逮捕された体験を語っています。デモに参加した理由として、戦争に反対をしている者がロシア国内にもいるということを、国内外に知らしめる事が重要であったと語っています。

他方、エルミタージュ美術館の研究者Ekaterina Lazarevskaya氏は、署名運動には参加したものの、デモに参加することは怖くて出来なかったと語っています。逮捕や罰金を恐れたとのことです。匿名希望のある大学教員は同紙の取材において、職を失うのが怖くて、デモに参加ができないと語っています。また、職場ではこの件に関して「沈黙」が基本であるとも語っています。

[Times Higher Education](2022.3.1)
Russian academics risk arrest to oppose Ukraine war

ロシア政府はさらに3月4日、軍事行動について意図的に偽の情報を流す者や、ロシアに対する制裁措置を肯定する者を最高で15年間刑務所に入れられることのできる法律を通しました。今回の情報戦に対応するためと説明されています。

この法律により、ロシア政府は国内の不穏分子に対し大きな力を得たと言われています。なお、この法律はウェブ上で公開されておらず、このニュースを報じたロイター通信からは確認不能でした。

[Reuters](2022.3.4)
Russia fights back in information war with jail warning

■ ロシア学長連合、ロシア政府支持を表明

そのような中、ロシア学長連合が3月4日、ロシア政府のウクライナに対する軍事侵攻を肯定する声明を発表し、世界の高等教育・学術界に強い衝撃が走りました。この声明には、モスクワ大学やサンクトペテルブルク大学長を含む、305名の学長が署名しています。

ロシア学長連合による声明(2022.3.4)

同僚たちよ!

目の前には、ロシアの全市民を興奮させる事柄が相次いでいる。ロシアの決断は、ウクライナとドンバスとの間の8年にわたる衝突に恒久的にケリをつけること。ウクライナの非武装化と脱ナチ化を達成することを通じて、高まりつつある軍事的脅威から母国を守ることである。

我々、ロシア連邦の学長団は何十年にもわたり、ロシアとウクライナ間の学術・教育連携をはぐくみ、発展させてきた。我々の共同研究は、世界の学術に対して大きな貢献をしてきた。このため、ドンバスにおいて長く続く悲劇は我々の心に痛みと苦みを特にもたらす。

今日、母国や、我々の安全を守る軍隊、我々の大統領を支援することは、とても重要である。大統領は人生において最も難しく、苦渋に満ちているが、必要であった決断をしていると思われる。

我々の主要な任務を忘れないことは大事である―教育活動を継続し、若者に愛国心を植え付け、母国を守りたいという気持ちにさせることである。

大学はこれまでもずっと、国の屋台骨であった。我々の第1の目標は、ロシアに奉仕をし、知的ポテンシャルを発展させることである。今、これまで以上に、経済面や情報面の攻撃に対して自信や耐久性を示さなければならない。大統領を効果的に支援することを通じて若者たちに、前向きの精神と知性(power of reason)への信念を強く持つことについて、範を示さなくてはならない。

[Times Higher Education](2022.3.7)
Russian rectors' union echoes Kremlin propaganda on Ukraine

[Inside Higher Ed](2022.3.7)
Russian Rectors' Union Defends War

ゲント大学のRik Van de Walle学長は以下のようにツイートしました。

このロシア学長連合の声明にはとても問題がある。これがロシアの全学長の心からの意見とは信じられない。と同時に、我々はこのような声明を受け入れることはできない。
強いられてであったとしても、そうでなかったとしても、自身をロシアの大統領や政権、軍と同列におく大学や研究機関と、協力していくことは不可能である。
つまり、ロシア学長連合の声明は、関係する大学との協力打ち切りにしか繋がりえない。最後に、ロシア人及びその他の研究者に対して、戦争反対及び学問の自由の重要性について発信することを呼びかける。

https://twitter.com/rvdwalle/status/1500413514384560136

欧州研究中心大学ギルド事務局長のJan Palmowski教授はUniversity World News紙の取材に答えて、「ロシア学長連合は、ウクライナへの対応について大きく間違っている。大学の役割はいかなる場合においても、愛国心を植え付けることであってはならない。そのような試みが大惨事に通じることは歴史が示している」と語っています。また、EUがロシアをHorizon Europeの対象から外したことは正しかったと述べ、今回のロシア学長連合の声明により、同様の判断をする国が拡大するであろうと指摘しています。

なお、University World News紙によると、ロシア学長連合はこの声明を発する2日前の3月2日時点では、「プーチン大統領が、今回の特別軍事作戦実施に関する苦渋に満ちた、しかし、外部から強いられた判断について、十分に説明をした」と表現しつつも、その行動を支持、もしくはその正当性を復唱することはしていなかったと報じています。

この時点ではむしろ、ロシアの大学に団結を呼びかけ、教育研究活動を継続することの重要性を強調しています。「最も重要なことは、大学コミュニティと相互信頼の文化、高等教育の高い質とアクセス、学生及び教員間の相互支援と相互理解の空気を維持することです」とあります。

学生への支援、とりわけ、ロシア国内で学ぶ留学生と、ロシア国外で学ぶロシア人留学生に注意を向ける必要があると指摘しています。ロシアの大学は、国外で学ぶロシア人留学生を受け入れる用意があるとしています。また、ロシアの大学が国際共同研究や研究インフラの開発、海外学術雑誌への論文出版において直面する課題について支援するアクションプランがあるとしています。その上で、この困難を乗り越えるために団結し、協力して行かなくてはならないと強調しています。

3月2日から4日にかけてのロシア学長連合のトーンの変化の理由はわかっていませんが、ロシア政府が3月4日に通した、不穏分子を取り締まることができるとする法律と無関係ではないと推測されます。

[University World News](2022.3.6)
Russian Union of Rectors backs Putin's action in Ukraine

■ ロシアの高等教育・学術界との断交の動き

欧州大学協会(EUA)は3月7日、ロシア学長連合の声明を受けて、この声明に署名をした12の大学をEUAから除名すると発表しました。この声明の内容が、EUA加盟の際に求められる「欧州の価値(European values)の追求」と正反対であるためです。

加えて、EUAは3月22日、この声明に後から署名した2つのロシアの大学をさらに除名しました。これにより、EUAが除名したロシアの大学は計14大学となりました。

なお、前回レポートしたように、EUAは当初、会員である各国の大学協会の判断を尊重する方向で、ロシアとの関係性については「ケースバイケースで判断」するようにと連絡していましたが、今回のロシア学長連合の声明を受けて、態度を硬化させたこととなります。

[EUA](2022.3.7)
EUA suspends membership of 14 Russian universities following statement by university leaders

[Science Business](2022.3.7)
European University Association suspends Russian members over pro-war statement

[Inside Higher Ed](2022.3.8)
European University Association Kicks Out Russian Universities

ロシア学長連合のロシア政府支持の声明発表を受け、日露大学協会の日本側事務局は当面の間、同協会の活動を見合わせる判断をし、3月16日、日本側加盟校にそのように連絡をしました。同協会は、2009年より開催されている日露学長会議を発展させるために2016年12月に設立され、2021年9月現在で、日本側30大学、ロシア側33大学、計63大学が参画していました。

(なお、この情報はmihoチャネルを受信している方から情報提供いただき、日露大学協会の日本側事務局に情報を確認の上、配信しています。関係者の皆さま、ご協力いただきありがとうございます。)

これらに加え、(ロシア学長連合の声明への対応とは独立していると思われますが)、全欧州アカデミー(All European Academy, ALLEA)は3月4日、ロシアのいわれのないウクライナ侵攻に鑑み、ロシア科学アカデミーとベラルーシ国立科学アカデミーを除名したと発表しました。

全欧州アカデミー(ALLEA)(2022.3.4)
Statement by the ALLEA Board on the Suspension of the Russian Academy of Sciences and the National Academy of Sciences of Belarus

ちなみに(ロシア学長連合や全欧州アカデミーの動きとどのように関係しているのかわからないのですが)、ロシア科学アカデミーは3月7日、ロシア政府に対する批判とも取れる声明を発表しました。大丈夫なのでしょうか・・・?

ロシア科学アカデミー理事会メンバーによる声明(2022.3.7)

我々、ロシア科学アカデミー理事会メンバーは、ロシア及び世界各国の研究者に向かって呼びかけます。

一般市民の死や貧困を伴う、長年に渡るウクライナとの衝突は、深刻な軍事衝突に繋がりました。我々は、この事態を交渉プロセスを通じて鎮火し、平和につなげることが、とても重要だと考えています。我々は、同僚の研究者を含む、ドンバス及びウクライナの戦争領域にいる人々の生命及び健康をとても心配しています。

我々は、人道的な問題を即座に解決すべきであると呼びかけます。一般市民の安全及び生活条件を保障することは、第一に優先されます。さらに、学術・教育・文化施設や歴史遺産の保全を呼びかけます。特に重要なのが、原子力発電や化学工業、その他の危険の可能性のある施設の破壊を食い止めることです。

我々は世界各国の同僚達、各国の科学アカデミー、各国および国際的な学術団体、その他の教育研究関連のパートナーに対し、学術的関心ではない、政治的環境や事態の深刻さに基づくスタンスや行動を控えるよう求めます。また、国籍や市民権に基づいて、研究者や教員、大学院生や学部生に対して政治的圧力をかけることを糾弾します。

我々は世界の学術コミュニティに対して、引き続き協力を展開すること、教育・研究上の国際連携を強化すること、国際的な研究インフラや論文投稿、学術データベースへのアクセス制限の動きを取りやめることを呼びかけます。

我々は科学技術外交および、研究者たちの平和や国家安全保障、紛争解決、軍事的緊張の緩和、核戦争の脅威の阻止の取り組みを強化することが重要と考えています。

■ 反ロシア勢力に目を光らせるロシアの大学

一方、どこまでが本心の動きなのかは不明ですが、単にプーチン大統領支持を表明するだけでなく、実際に、不穏分子や反ロシア勢力の取締に乗り出すロシアの大学もあります。

Kommersant紙によると、サンクトペテルブルク大学は反戦デモに参加した学生のうち13名を退学処分とする方向で準備を進めています。その後も複数の反戦デモが起きているため、この数は増える可能性があります。Sota.Visionオンライン紙の取材でデモの現場にいた学生のVeronika Samusik氏も、「プレス」のワッペンを大きく胸につけていたにも関わらず、デモにおいて取り押さえられ、退学処分とされる学生のうちに含まれています。

学生支援部長のMikhail Mochalov氏は、これら学生の処分確定のためには懲戒委員会と倫理委員会をこれからまだ経なければいけないものの、両委員会とも形式的なもので、「これらの学生はもう終わりである(these students are doomed)」と語っています。「学生支援部として、学生にしてやれることはない」とのことです。学生のこれまでの素行や性格などは考慮に入れられないそうです。また、復学の可能性や申し立ての権利もないそうです。

弁護士のAnastasia Burakova氏は、学生の退学処分についてはいかなる法的根拠もないと主張しています。「これは純粋に弾圧行為です。このような行為は以前から、空手形のように行われていました。更に最近は、法について語る必要はなく、政治状況に照らして判断がなされています」。

教育担当副学長のAlexander Babich氏は、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う三密防止も含め、認可されていない大規模集会の開催は大学の規則に違反していると主張しています。平和的集会や、市民としてのポジション表明は許されているとしています。

なお、サンクトペテルブルク大学はロシア最古とされる、ロシアの名門大学です。

[Kommersant](2022.3.9)"I will not reassure you: these students are doomed"

[Moscow Times](2022.3.9)
Russia's Oldest University to Expel Students Detained at Anti-War Protests - Kommersant

■ 監視の目を感じるロシア人研究者

ロシア人研究者はロシア国内で日に日に居づらさを感じるようになっています。特にロシア政府が3月4日、不穏分子を取り締まることができる法律を通して以来、自由に意見を言えない空気が学内を支配しています。

The Scientist紙によると、アレクサンドラ(仮名)は、ロシアのウクライナ侵攻が始まった2月24日の直後から、反戦の意を示すための署名運動の文章を数十名の教員と起草していました。しかし、3月4日の不穏分子の取り締まりの法律制定のニュースを聞き、署名文を公開することを取りやめました。

「この署名文が署名者の名前と共に公開されたら、署名者は懲戒処分もしくは退学処分になり、さらに、ロシアの軍の兵役に回される可能性があると気が付いたのです。署名文の起草者として、署名をした教員や学生たちに対して責任を取れないと思いました」とアレクサンドラは語ります。署名文は今も、Googleドキュメントとしてクラウド上に保存されているそうです。

アレキサンドラはまた、デモ行進に参加し、留置所に拘留された体験を語っています。2人用の女性用留置室に女性が5名積み込まれ、虫とともに一晩を過ごしました。一晩中、体育座りをしていることに耐えきれなくなり、アレクサンドラは罰金を払い、留置所を一晩で後にしましたが、拘留されていた者たちの中には14日間、拘留されていた者もいます。

「戦争に反対しているけれど、それを公で口に出さないロシア人研究者や市民はたくさんいます。職を失う危険性があるのです。あるいは、子供を養わなくてはいけないので〔そのようなリスクを冒せない〕のです」とアレキサンドラは語ります。

大学によって、自由に発言できる空気は異なるようです。モスクワ大学科学専攻の教員であるタチアナ(仮名)は、「大学の周りのカメラが我々を監視している可能性があります」と語っています。一方、モスクワのある研究機関で分子生物学の研究者であるトーマス(仮名)は、自身の所属するセンターは比較的自由な空気が流れているとします。しかし、同氏は自身の名前も所属機関名も匿名であることを希望しています。

タチアナは、「私の周りの同僚は、沈黙を保っています。私は、私と家族がネズミ捕りに捕らえられてしまったかのように無力に感じています」と語ります。サンクトペテルブルク大学数学専攻のイリア(仮名)は、「多くの親戚や友人、同僚がいる兄弟国を攻撃するとは、ひどい話です。ここにはもう、デモクラシーも、言論の自由もありません。ロシアは急速に、世界のニュースから見えない国(Russia is quickly becoming a news vacuum)となっています。我々は完全に専制体制下にあります」と語ります。

イリアは、同様の考えを持つ学生達数名と反戦デモに参加しました。同氏は、多くの学生がリベラルで戦争に反対であることを嬉しく思っています。しかし、プーチン大統領を支持する学生の親から、大学に2回も、不穏分子として通報されたと語ります。また、大学の同僚の中にも、愛国心や旧ソ連時代への懐古、あるいは政府のプロパガンダを信じているためか、ロシア政府を支持する者はいるそうです。

[The Scientist](2022.3.25)Russian Scientists Grapple with an Uncertain Future

■ 悪化するロシアの学術機関における研究環境

研究環境も日に日に悪化しています。前回レポートしたように、国際プロジェクトや国際共同研究への研究助成は、ロシアの学術機関に所属するロシア人研究者に対して、門戸を閉ざしつつあります。

欧州心臓学会は、その年次大会について、ロシア及びベラルーシの学術機関に所属する研究者の参加を認めないこととしました。サンクトペテルブルクで開催予定であった国際数学者会議(ICM)2022は、オンライン開催へと移行しました。エルゼビア社の学術雑誌「Journal of Molecular Structure」は、ロシアの学術機関に所属する研究者からの論文投稿を認めないこととしました。Web of Scienceを運営するClarivate社も、ロシアおよびベラルーシからの新たな学術雑誌の掲載は認めないこととしました。また、ロシア支部を閉鎖し、ロシアにおける商業活動を取りやめました。

サンクトペテルブルクのSmorodintsev Research Institute of InfluenzaにおいてSARSなどの ウイルスの研究を行っているAndrey Komissarov氏は、「European Virus Archive Global (EVA-GLOBAL)」のコーディネーターをしている欧州の国際共同研究仲間から、同氏の研究機関に対して研究助成の支払いができなくなったとの連絡を受けました。

「君がウクライナの悲劇に対して責任を有さないことは知っている。しかし君は、君の政府の決断の結果の影響を受けなければならない」とありました。これに加えて、同氏がEUのHorizon 2020から得ていた研究助成も3月4日付けで差し止められました。

同氏のラボ設備や研究メンバー、国際共同体制は長年の時間をかけて構築されてきたものです。それがロシア政府の軍事行動により急速に機能しなくなってきています。国際共同研究が難しくなり、国外に依存していた次世代の試薬やシークエンサーの部品が手に入らなくなってきています。これらを供給していたIllumina社やOxford Nanopore Technologies社がロシアから撤退したからです。

「ラボで実験をするのに、あと数週間分の試薬しか残っていない」と同氏は語ります。実験ができないと、ラボのメンバーのキャリアにもゆくゆく影響が出てきます。

ウェットな実験をする他のロシア人研究者も、同様の体験を語っています。欧米からの試薬の供給が途切れ、顕微鏡やその他の研究設備の維持が困難となってきています。一部の研究者は、中国からの試薬などに切り替えることを検討しているそうです。

これに加えてロシア政府は3月19日、ロシア人研究者が国際会議に参加することを禁止し、さらに、2022年中については論文数や国際会議への参加数、国際的研究助成金の獲得額が少なくても問題はないと発表しました。

ロシア人研究者は個人ベースで国外の研究者とまだ繋がっていますが、制度的な制約が課される中、研究活動は日増しにしづらくなっています。

[The Scientist](2022.3.25)Russian Scientists Grapple with an Uncertain Future

[Times Higher Education](2022.3.22)
Russia bars academics from international conferences

■ 国外逃亡を図るロシア人研究者

ロシア国内における生活・就労環境が悪化する中、「ロシアの大学では研究が継続できない」と国外に避難する者も現れています。「自分の研究をロシア政府の運命と道連れにしたくない」との声も聞かれます。

Times Higher Education紙の取材に答えた3名の研究者はそれぞれ、アルメニア、ウズベキスタン、ジョージアなどに逃げ出しました。親戚や友人を頼って避難する者もいれば、ホステルなどの安い宿に泊まっている者もいます。

今のところ遠隔から、母国の所属機関の仕事を続けていますが、職をいつ打ち切られてもおかしくない状態です。このため、欧州の大学などのポスドクのポジションを探しているところですが、ウクライナの研究者の救済の方が緊急度が高いため、その職を奪ってしまうのではないかという申し訳ない気持ちも先に立ちます。

[Times Higher Education](2022.3.14)
'No future for us left in Russia,' say fleeing academics

ロシア国外で生活を維持するのも困難です。ロシアに対する国際的な経済制裁により、ロシア国外に逃亡しても、クレジットカードや銀行のキャッシュカードは利用できません。このため、多くのロシア人は、ロシアと同様のカード決済システム「Mir」を導入する諸国に逃亡する必要があります。

注:2022年3月時点で「Mir」を利用可能な諸国は、トルコ、ベトナム、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、南オセチア、アブハジア
(出典)Russia beyond, "ロシアの決済システム「ミール」が必要なわけ"(2022.3.11)

ロシア国外で職を得ることも困難です。ロシア人に対しては、難民ビザは下りないのです。職が無い状態では就労ビザも下りないため、観光ビザで入国する必要があります。ロシアの研究者を受け入れてくれるロシア国外の学術機関の研究者は、ビザの取得に骨を折ろうとしてくれていますが、現状の国際的な緊張関係の中においては、それは不可能です。

一方、観光ビザによる入国の場合、滞在期間や携行できる荷物、金銭に上限があり、いつかはロシアに戻らなくてはいけなくなります。イリア(仮名)は「我々は観光客としてしか入国できないため、スーツケース1〜2個、入管で許容されるユーロの上限額しか持ち込めず、数週間程度しか滞在できません」とThe Scientist紙の取材に答えています。

[The Scientist](2022.3.25)Russian Scientists Grapple with an Uncertain Future

■ ロシア国内に留まる研究者

全てのロシア人研究者が国外逃亡を検討しているわけではありません。

モスクワの研究機関に勤務する生物学者サーシャ(仮名)は「自分と家族の身の振り方について決定をしたわけではありませんが、できるだけロシアに留まりたいと思っています。私は自分のラボの研究環境を15年間かけて構築してきました。ロシアの学術水準を引き上げたいと思っていたからです。その努力が水の泡になるのは見たくありません。残念ながら、今まさにその努力は潰されかかっています」とThe Scientist紙の取材に答えています。

アレクサンドラ(仮名)は国外逃亡したいと思い、反戦デモに参加している自分の写真をSNSに掲載し、「職求む」とツイートしました。これを見て、欧州にいる彼女の同僚は、声をかけてくれました。しかし、アレクサンドラは、家族をロシア国内においていくという決断ができず、この話を見送りました。

モスクワで言語学の教授であるイリーナ(仮名)も、ロシアを離れることを躊躇しています。この国を再建するために残ることが、自分に課された義務だと感じています。「もし、リベラルな人々が全員、この国を離れたら、何がこの国に残るのでしょう? 私は教育を受けたオープンマインドで先進的な人間として、この国に残り、国のカルチャーを変えていくことが、自分の使命だと思うのです」と語ります。

[The Scientist](2022.3.25)Russian Scientists Grapple with an Uncertain Future

■ 国外で罪に苛まされるロシア人留学生

一方、ロシアのウクライナ侵攻以前から国外に滞在していたロシア人留学生や研究者は、居づらさを感じています。

リディア(21歳)は英国の大学に留学しています。プーチン政権は支持していません。ロシアにいる彼女の友達たちは反戦運動をし、逮捕される危険を冒しています。でも、彼女のクラスメイトがこの状況を理解してくれるとは思えません。大学の講義で講師がロシアのウクライナ侵攻を取り上げた時、彼女は「恥ずかしく感じ、消え去りたいと思いました」。

「私の体験を話せる相手が身の回りにいません。孤立していると感じています」と彼女はObserver紙の取材に答えています。英国に留学を決めた時、語学を早く覚えられるように、身の回りに英語を話す人しかいないような環境を彼女は選びました。このため、彼女の境遇を理解できる人が周りにいません。

「心配をかけたくないため、この状況を親には相談できません。両親は既に、経済制裁のために仕送りができなくなることを心配しているのです」。

ケンブリッジ大学の博士課程学生タチアナは、周りの友人や指導教員が手を差し伸べてくれているものの、「戦争の恐怖や、母国がこれからどうなってしまうのか」について不安におののいていると語ります。彼女の両親は、ロシアの国外に避難すべきかまだ検討中です。タチアナは、早く逃げないと国境を閉ざされるのではないかと心配しています。

「両親は、ロシアに留まり戦争に反対することが自分たちの責任だと思っています。しかしそれはとても危険なことです。私はケンブリッジにいて安全です。拷問にかけられるか、15年牢屋にぶち込まれるかの心配をせずに、戦争に反対できるのです」。

■ ロシア人留学生に手を差し伸べる大学

英国大学協会国際部のVivienne Stern部長は英国の大学に対して、「極度に気が動転している」ウクライナ人学生を対象に精神的サポート、経済的支援、ビザ、親を英国に呼び寄せるための助言を与えるよう連絡しています。一方、「多くの大学はロシアやベラルーシの学生にも積極的に手を差し伸べています」と彼女は語ります。

「大学がロシア人留学生を排斥しようとしている、という噂がありました。しかし私が聞いた限りでは、どの大学もその逆で、ロシア人留学生と連絡を取り、必要としてる支援を聞いているようです」。

実際に、カーディフ大学ではウクライナ人だけでなくロシア人留学生に連絡を取り、使えなくなったルーブルで困っている学生がいることを突き止めました。「大統領の行いに対して、これらの学生に責任を問うことはできません」と同大学のColin Riordan学長は語ります。ケンブリッジ大学長も、ウクライナ人留学生だけでなく、ロシアおよびベラルーシの留学生も困っている可能性がある、と学内の注意を喚起しました。

一方、英国保守系議員からは、ロシア新興財閥のオリガルヒの子息を英国の私立の学校から追放すべきとの声があがっています。SNSにおいて、ロシア人学生を英国や米国の大学から追放すべきとの声もありました。サセックス大学の科学政策研究ユニットの教授、かつ社会経済研究カウンシル特別プロジェクトの前リーダーであるPaul Nightingale氏も、「オリガルヒやその親戚の子息は英国の大学から絶対に追い出すべきです」と語ります。

しかし、「ロシア人留学生全員を追放すべきと言うべきではないと思います。英国にいるほとんどの学生は反プーチンです。将来ロシアを変えてくれる若者たちに背を向けるべきではないと思います」とも語っています。

[Guardian](2022.3.6)
Russians at UK universities 'lonely and guilty' as they fear for the future

[Inside Higher Ed](2022.3.30)Ukrainian, Russian Students Face Financial Woes in U.S.

(所感)

ロシア人の研究者も学生も、プーチン政権の行為の被害者ですね。皆それぞれに、日々の教育研究活動にいそしみ、時間をかけて積み上げてきた教育研究上のアセットやネットワークのある人々なのです。家族や親、同級生や同僚がいる、普通の人々です。

プーチン大統領にとって戦車や軍事侵攻、拷問や逮捕、惨殺が当たり前であっても、これらの人々にとってそれは日常ではありません。2月24日を境にそれらが身の回りに当たり前に起きるようになり、自由な発言をすれば、自身も拷問や逮捕をされる可能性が急にでてきてしまったのです。

ロシア学長連合のロシア政府支持の声明発表や、サンクトペテルブルク大学でおける十数名の学生の退学処分の可能性のニュースはショッキングですが、大学構成員の多くを守るのにはそれが最良の手段と、旧ソ連時代を知る大学上層部が判断せざるを得なかったからなのではないでしょうか? そう信じたいところです。

The Scientist紙に、「現在、国際世論はウクライナのもとにあります。それは人道支援上、もちろん、第一優先されるべき課題です。しかし、ロシアを国外逃亡している者もいるのです。特に、反ロシア政府を表明したという記録のある人々が国内にいられなくなり、国外逃亡しています。しかし、これらの人々への支援はありません。我々は、忘れ去られた存在なのです(We are in a state of limbo)」とロシアから国外逃亡を図った研究者の声がありました。

「ロシア政府の行いと、ロシア人個人の行いは別に考える必要がある」ということを頭ではわかっていても、日本人にとってはなかなか、ロシア人が今どのような状況にあるのか、特に、ロシア国外にいるロシア人がどのような心情や窮状にあるのかは理解できません。身の回りにロシアやベラルーシの方がいることも少ないと思いますが、いる場合は、これらの人々が孤立している可能性も察してあげて、寄り添いたいものです。

次回は、国際学術雑誌の動向を中心にレポートしたいと思います。

レポート(4)へ続く)

船守美穂