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分裂するオープンアクセス運動

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2002年、BOAIはOAの究極的な目標を「共有された知的会話と知識の探求を行うなかで人類を一体化すること」と定めた。BOAI宣言から約20年経った今、果たしてこの目標は達成されたのであろうか?
結論から言うと、現状はOAが人類を一体化するという理想に近づくどころか、地政学的な緊張関係やそれが引き起こすインターネットの分断(Splinternet)などの影響もあり、OA運動そのものが分裂しつつあるように見える。

欧州諸国は、APCモデルによるOAの拡大を強力に推し進めている。
OA2020イニシャティブの下で、各国の図書館コンソーシアムは転換契約(Transformative Agreements)を進め、研究資金配分機関もcOAlition Sを結成し、Plan SによるOA化を強力に推進している。

それに対して、新興国やグローバルサウスの国々は、APCモデルによるOAはpaywall(有料購読の壁)をpublication wall(出版の壁)に置き換えるだけだと反発し、独自の運動を開始している。
例えば、ラテンアメリカ諸国は、グローバルサウス諸国に適したOAモデルを広めることを目指してAmeliCAを組織した。AmeliCAはアフリカや日本(J-STAGE)も巻き込みながら、UNESCOが主導するGLOALLというアライアンスに発展している。

また、欧州でもフランスを中心にJussieu Call for Open science and bibliodiversityという動きも始まっている。これは、研究者コミュニティ、学協会、および研究機関に向けて、APCモデルに頼ることなく、Bibliodiversity(書誌多様性:学術出版における文化的多様性)とイノベーションを促すOAモデルを広めることを目指した運動である。

一方、米国に目を転じてみると、UCなどの一部の大学がOA2020に同調しつつ、転換契約を進めようとしているものの、全体としては様子見の傾向が強い。
NIH等の研究資金配分機関は従来のグリーンOA路線を今後も維持していくように見える。

それに対して、Plan S陣営からは、Plan SによってOA化された論文は、Plan Sに署名した国や地域限定でオープンにすべし、との声も上がっている。これはまさに地域限定OAモデルであり、paywallならぬgeowallを築こうという試みではないか。

さらに、STEM中心のPlan Sに対しては、HSS分野からの根強い反発もある。地域だけでなく、分野間の分裂の兆しも見える。

加えて、国際的なOA情勢を把握する上で忘れてはならないのは、中国の動向であろう。
中国政府は、今のところPlan Sに対しては静観の構えを見せている。その一方で、一帯一路政策の柱のひとつにサイエンスを据え、参加国の研究プロジェクトに対する財政支援を進めており、学術出版の世界でも覇権を握ろうという意図が見え隠れしている。
既に、China Academic Journals Full-text Database(CJFD)という巨大な学術論文データベースを構築しており、そこには6,800万本を越える論文が登載されている。そのうち英語論文の占める割合は不明だが、論文の英訳も着々と進めているようである。これは合法的なSci-Hubと言えるのかもしれない。
また、中国化学会は、最近CCS ChemistryというOA誌を創刊した。これはいわゆるダイアモンドOA誌と呼ばれるジャーナルであり、購読料もAPCも不要で、全ての掲載論文がオープン化されている。中国化学会は、米国化学会が創設したプレプリントサーバChemRxivにも参画しており、ChemRxivのプレプリントの多くが、CCS Chemistryに取り込まれ、やがてはCJFDに採録されていくのではないだろうか。

以上の状況を俯瞰すると、OA運動の現状は、BOAIが目指した「共有された知的会話と知識の探求を行うなかで人類を一体化すること」という理想の姿には程遠いと言わざるを得ない。

しかしながら、この言わばOA運動のバルカン半島化は、本当に由々しき問題なのだろうか。「分裂」を「多様化」と捉えれば、地域や分野に根差した特色あるOA運動が陸続と生まれつつある現状は、実は望ましい状況なのかもしれない。

それはさておき、こうしたOAの全体図の中で、日本はどこに軸足を置こうとしているのか、あるいは置くべきなのか? この国では、相変わらす電子ジャーナルの価格高騰ばかりが問題にされているが、今考えるべきことは、OAや学術コミュニケーションをめぐる世界の勢力分布図の中での位置取りだと思う。どういうスタンスをとることが日本の学術研究にとって最も適切なのか、さらには世界の学問の発展に寄与するためには日本はどのようなスタンスをとるべきか。議論すべきはこのことだと思う。

ところで、この日誌のネタ本は、Richard Poynderの"Open access: Could defeat be snatched from the jaws of victory?"です。
なにしろ82ページに及ぶ長大な記事なので、関心と時間と根気のある方にしかお勧めできませんが、、、

(尾城 孝一)